ルイ・ヴィトン・ストーリー 『初めてルイ・ヴィトンを購入した日本人は?』 150年以上も人々に愛され続けるブランド・ルイヴィトンの歴史の物語


『初めてルイ・ヴィトンを購入した日本人は?』

そのヒントはパリに保管されている販売台帳に記載されていました。

 ルイ・ヴィトンのトランクの留め金には、安全のために「こじ開けられない」錠が付いています。 複数の羽根を用いた錠の仕組みは特許を得ており、錠には鍵に対応した番号が付いています。 トランクごとの固有の番号は、それぞれの注文、製造、配送を調整する販売台帳に記録されていました。
 この番号と台帳からトランクごとの購入日を辿り、持ち主を特定することができました。 錠の番号は鍵のものと同じで、さらに特定の鍵番号の台帳に記載されていました。 販売台帳にはすべての注文が集められており、購入日・注文番号・トランク内の製造番号・サイズ・型・仕上げの指示・店舗・価格コード・顧客の氏名・配送日・決済日が記載されています。 あたかも美術館の所蔵品目録のようなこの台帳からは、著名人の氏名や珍しい注文の間にある思い入れを読み解くことができます。 創業以来の記録がつめられた、このルイ・ヴィトンの台帳は、いまでもパリに保管されているのです。

後藤象二郎
(ごとう しょうじろう、
1838年4月13日-1897年8月4日)

 ルイ・ヴィトンを購入した日本人の名前も、その販売台帳に記載されていました。 その人の名前は、後藤象二郎。土佐藩士として坂本竜馬と共に活躍し、大政奉還実現の一翼を担った人物で、あの近藤勇とも親交があったことが知られています。 1883年、板垣退助と共にフランスに渡り、パリのルイ・ヴィトンで総革張り・110センチの大型トランクを買い求めたことが記録に残されているのです。このことは、2003年ルイ・ヴィトンの高知店オープンの際の秦郷次郎元社長のスピーチの中で紹介され、初めてルイ・ヴィトンを購入した日本人として多くの人にも知られています。

 ところが、2011年9月17日の朝日新聞にこんな記事が掲載されました。

 『ルイ・ヴィトン、板垣退助もご愛用 ひ孫、トランク寄託』

 「高知市出身で自由民権運動を指導した板垣退助(1837〜1919)が使っていたルイ・ヴィトンのトランクが、遺品として保管していた東京在住のひ孫、小山朝和(おやま・ともかず)さん(60)から同市立自由民権記念館に寄託された。10月26日から同館で初めて一般に公開される。
 幅75センチ、奥行き42センチ、高さ35センチの木製で、しま模様のキャンバス地が張られている。タグにルイ・ヴィトン・パリと記され、「7720」と製造番号も入っている。ふたに「ITAGAKI」と印字されている。
 この型のトランクは1880年代に作られており、ヴィトン社の有名なモノグラムの模様が誕生する1896年より前の製品だ。自由党党首だった板垣が1882〜83年、立憲政治視察のため後藤象二郎と渡欧した際、パリで購入したとみられる。」

2011年9月17日の朝日新聞

後藤象二郎と渡欧した際、板垣退助も購入していたのですね。と、なると、どちらが最初なのかわからなくなりましたね。

板垣退助
(いたがき たいすけ、
1837年5月21日- 1919年7月16日)

 台帳に記載されていた、その他の日本人の名前も調べてみました。

 西園寺公望
― 明治維新後伊藤博文らとともに活躍し、内閣総理大臣を務めた人物。
1886年、ルイ・ヴィトンで4つのトランクを買ったことが記録が残っています。

 小倉久
― 関西大学の前身である関西法律学校の初代校長
1884年、ポルトガルのリスボンで開かれた万国郵便会議に駅逓官として出席した際、フランス・パリのルイ・ヴィトン本社で購入したそうです。そのトランクは関西大学に展示されているそうです。

関西大学年史編纂室

 
  関西大学通信(2005年7月15日)

 関西大学の文献の中にこんな文もありました。

  「ルイ・ヴィトンが所有する19世紀後半の顧客名簿の中には、十数人の日本人らしい名前 が見出されます。フランス特命全権大使であった鮫島尚信(1878年、80年/注文購入した年)、 大山巌(1882年)、後藤象二郎(1883年)、小倉久(1884年)、西園寺公望(1886年、88年)、 岩倉具視(1900年)らがルイ・ヴィトンの製品を買い求めています。」

  これによると、1878年に購入した鮫島尚信が最初ということに?
 果たして、真実やいかに。




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