ルイ・ヴィトン・ストーリー 『ウジェニー・ド・モンティジョ』
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ウジェニー・ド・モンティジョ (Eugenie de Montijo、1826年 - 1920年 )
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フランス皇帝ナポレオン3世の皇后。
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ウジェニーが13歳の時、最愛の父ドン・シカプリアーノは亡くなってしまいます。父が亡くなると母マリアとの仲はあまりうまくいかなくなってしまいました。 |
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その後姉のマリアが家族の栄典のほとんどを存続し、1849年に幼馴染の第15代アルバ公ヤコポ・フィッツ=ジェイムズ・ステュアートと結婚しました。実はウジェニーはアルバ公に恋をしていて、いつかはアルバ公と結ばれたいと願っていました。ところが、母は静かな性格のマリアをアルバ公に嫁がせてしまいました。ウジェニーは失恋の痛手から男装しマドリッドの町を煙草を吸いながら闊歩したり、裸馬で町を疾走したり、闘牛場に男装して現れるなどの奇行を5年ほど続けてしまいます。しかし愛してやまない姉夫妻を友人として認めることにし、生涯の友人となりました。
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その後、ウジェニーは21歳の時に亡き父の持っていた多数の称号を受け継いぎます。
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ウジェニーは母とともにフランスエリーゼ宮殿の舞踏会に出席し、これが彼女がナポレオン3世と出会った最初の機会でした。皇帝に見初められ大恋愛の上、ウジェニーはルイ=ナポレオン・ボナパルトと結婚しました。
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フランスにとって外国から妃を迎えるのはルイ16世の配偶者、マリーアントワネット以来のことで、それもあってかウジェニーはマリー・アントワネットに強い興味、憧れを抱いていたと言われています。
この時代、宮廷の装飾にはルイ16世の頃に人気があった新古典様式の家具とインテリアデザインが再び用いられます。
またウジェニーは、マリー・アントワネットの肖像画や遺品をコレクションし、それらを集めた展覧会も開いていました。
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その美しさ、貴族的気品、豪華な装いと伝説的な宝石はつねに世間から注目を集め、皇后御用達となったメゾンは名声を得て大きな成功を収めます 。
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舞踏会やレセプション、旅行が頻繁に行われるようになったため、骨組みのクリノリンを収納するためのトランクが必要となり、フランスの名だたる荷造り用木箱製造兼荷造り業者のところに注文が殺到するようになりました。オペラ座に近いカプシーヌ大通りのフォーブール サン トレノで"レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人)" のマレシャル氏とその忠実な部下のルイ・ヴィトンもウジェニーの命で、エリゼ宮へ定期的に足を運んでいました。 |
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ウジェニーはもともと華麗な衣裳の梱包を自ら指図していましたが、やがてルイ・ヴィトンだけにこの仕事を任せるようになったのです。 このことにより、ルイ・ヴィトンは名声を手に入れたのでした。 |