ルイ・ヴィトン・ストーリー 『ウジェニー・ド・モンティジョ』 150年以上も人々に愛され続けるブランド・ルイヴィトンの歴史の物語


ルイ・ヴィトン・ストーリー 『ウジェニー・ド・モンティジョ』

ウジェニー

ウジェニー・ド・モンティジョ

(Eugenie de Montijo、1826年 - 1920年 )

フランス皇帝ナポレオン3世の皇后。

ウジェニーはスペイン貴族のドン・シプリアーノ・デ・パラフォクス・イ・ポルトカレッロとマリア・マヌエラ・キルクパトリックの間に生まれました。ウジェニーと1つ上の姉マリア・フランシスカ・デ・セラスは、1834年から1838年までパリのサンジェルマン地区ヴァレンヌ街にあるサクレクール寺院女子修道院で教育を受けます。そこでは彼女は、揺るぎないカトリックとしての教えを受け、ウジェニー姉妹は家族内ではフランス語を日常語として使っていました。

ウジェニーが13歳の時、最愛の父ドン・シカプリアーノは亡くなってしまいます。父が亡くなると母マリアとの仲はあまりうまくいかなくなってしまいました。

その後姉のマリアが家族の栄典のほとんどを存続し、1849年に幼馴染の第15代アルバ公ヤコポ・フィッツ=ジェイムズ・ステュアートと結婚しました。実はウジェニーはアルバ公に恋をしていて、いつかはアルバ公と結ばれたいと願っていました。ところが、母は静かな性格のマリアをアルバ公に嫁がせてしまいました。ウジェニーは失恋の痛手から男装しマドリッドの町を煙草を吸いながら闊歩したり、裸馬で町を疾走したり、闘牛場に男装して現れるなどの奇行を5年ほど続けてしまいます。しかし愛してやまない姉夫妻を友人として認めることにし、生涯の友人となりました。

その後、ウジェニーは21歳の時に亡き父の持っていた多数の称号を受け継いぎます。
父親譲りの勇敢さと彼女の美しさの評判はフランスだけではなく、やがてヨーロッパ各国へ伝わって行きました。彼女は各国の王侯貴族から求婚されますが、すべてを断り続け、やがて鉄の処女と言われるようになります。

1848年にルイ=ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン3世)が第二共和政の大統領になりました。

ウジェニーは母とともにフランスエリーゼ宮殿の舞踏会に出席し、これが彼女がナポレオン3世と出会った最初の機会でした。皇帝に見初められ大恋愛の上、ウジェニーはルイ=ナポレオン・ボナパルトと結婚しました。

ナポレオン3世は、ビクトリア女王の姪アーデルハイトとの結婚を断ってウジェニーと結婚した為、当初、ビクトリア女王に嫌われていました。しかし、ウジェニーはイギリス公式訪問の際にヴィッキー王女(女王の長女ヴィクトリア、のちのドイツ皇后)にそっくりな人形をプレゼントし、その後は人形に着させるドレスをフランスから贈り続け、最新流行のドレスをヴィッキーが着られるように配慮しました。そんな人柄の誠実さから、ビクトリア女王もすっかり魅了されてしまい、無二の親友になったそうです。

フランスにとって外国から妃を迎えるのはルイ16世の配偶者、マリーアントワネット以来のことで、それもあってかウジェニーはマリー・アントワネットに強い興味、憧れを抱いていたと言われています。 この時代、宮廷の装飾にはルイ16世の頃に人気があった新古典様式の家具とインテリアデザインが再び用いられます。 またウジェニーは、マリー・アントワネットの肖像画や遺品をコレクションし、それらを集めた展覧会も開いていました。

ウジェニーはフランス皇后として、フランス社交界の中心となってクリノリンを始めとする様々な流行を生み出し " モードの女帝 " と呼ばれるほど当時のモード界に大変な影響を及ぼしました。

その美しさ、貴族的気品、豪華な装いと伝説的な宝石はつねに世間から注目を集め、皇后御用達となったメゾンは名声を得て大きな成功を収めます 。

ウジェニーが1855年に着けた新しい骨組みのクリノリンは、ヨーロッパの宮廷ファッションに流行を巻き起こしました。そして彼女が、1860年代の終わりに大きなスカートを捨てると、彼女の伝説めいた宮廷人シャルル・ワースの奨励によって、ウジェニーのファッションは再び流行となりました。

ウジェニーの貴族的気品、ドレスの豪華さおよび伝説的な宝石は数え切れない絵画、特に彼女のお気に入りの画家フランツ・ヴィンターハルターによって記録されています。
「シック」という表現はウジェニーの宮廷や第二帝政を表現する言葉であったと言われています。

舞踏会やレセプション、旅行が頻繁に行われるようになったため、骨組みのクリノリンを収納するためのトランクが必要となり、フランスの名だたる荷造り用木箱製造兼荷造り業者のところに注文が殺到するようになりました。オペラ座に近いカプシーヌ大通りのフォーブール サン トレノで"レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人)" のマレシャル氏とその忠実な部下のルイ・ヴィトンもウジェニーの命で、エリゼ宮へ定期的に足を運んでいました。

ウジェニーはもともと華麗な衣裳の梱包を自ら指図していましたが、やがてルイ・ヴィトンだけにこの仕事を任せるようになったのです。 このことにより、ルイ・ヴィトンは名声を手に入れたのでした。

ルイ・ヴィトン  ポルトフォイユ・ウジェニ
ルイヴィトンのトランクを愛用していたナポレオン3世の妻ウジェニにちなんで名づけられた、大きなゴールドバックルが良いアクセントになっている三つ折り財布。

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