ルイ・ヴィトン・ストーリー 『ピエール・サヴォルニアン・ド・ブラザ』
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ピエール・サヴォルニアン・ド・ブラザ
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イタリア系フランス人の探検家。
イタリア生まれ、のちにフランスに帰化する。パリ地理学会の支援により、コンゴ川流域を探検し、中部アフリカのフランスによる植民地化に重要な役割を担った。現在のコンゴ共和国の首都であるブラザヴィルは、彼の名にちなんでいる。
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ピエール・サヴォルニアン・ド・ブラザは1852年、イタリア・ローマで、フリーウリ地方出身の貴族の家系に生まれ、1874年、22歳でフランスに帰化しました。
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19世紀末、それは遥か遠い地への探検と征服の時代でした。
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ブラザは、自らを全権代表として、テケ族の首長マココに、コンゴの領有権をフランスに移譲する条約の交渉を行いました。
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その頃、2つのスキャンダルが新聞に暴露され、西欧の植民地帝国を揺るがしました。
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1905年3月、探検に出発する直前、ブラザはルイ・ヴィトンにいくつかの注文をしました。自分用および同行する妻のためにモノグラム・キャンバスのベッドトランク2点、それに付属するレイエ・キャンバスで作られた折りたたみ式の馬毛マットレス。そして、銅製のライティングデスク・トランクをオーダーしました。 ブラザはこのデスクトランクに秘密の仕切りを作るよう注文しました。ルイ・ヴィトンはデスク付きのトランクをデザインし、書類を入れるコンパートメントの他に、限られた人間しか知らない隠し引き出しを組み込みました。 |
再びコンゴを訪れたブラザは、現地で目にしたことに唖然としました。恐るべき状況に関する報告書を作成するためのメモが秘密の引き出しの中にぎっしり詰まっていたのでした。その時マラリアを患っていたブラザでしたが、休む間もなくその報告をまとめました。
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しかし、当時人々はみな、ブラザのトランクに秘密の仕切りがあることを知っていました。
フランス『イリュストラシオン』紙は、デスクトランクについて、
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かの探検家のメモが何を明かしたかはいまだ謎ですが、アフリカの人々が彼に敬意を表して、コンゴの首都をブラザヴィルと名付けたことからも、ブラザの現地での活躍ぶりをうかがい知ることができます。
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