ルイ・ヴィトン・ストーリー 『ルイヴィトン誕生』
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ルイ・ヴィトンが10歳の時に、母親が5番目の子を産んで死んでしまったこと、そして翌年父親が再婚したことが、その後のルイ・ヴィトンの人生を左右する大きな事件であったのではないでしょうか。義母がルイや彼の兄弟に仕事を押しつけたり、辛く当たったりするので、村の友人たちとヴァルーズ川やアンシュロンヌ川へ、こっそり鱒を釣りに行くこともできなくなってしまった。そして、10歳ぐらいの少年が、水車の番をし、何頭かの牛を世話し、かまどにくべるために製材所から鉋くずを集めるというのはとてもたいへんな仕事であったのでしょう。 |
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ようやくパリにたどり着いたルイは、オペラ座に近いカプシーヌ大通りのフォーブール サン トレノで”レイティエ・アンバルール(荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人)” のマレシャル氏のもとで見習いとなり働き始めます。
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![]() ウジェニー・ド・モンティジョ |
30歳になったルイはフランス随一の「荷造り木箱製造職人兼荷造り職人」となっていました。実際彼は有名な仕立屋に頼まれて、出入りの難しいアトリエへ行き、世界に君臨するフランス・オートクチュールの豪華な衣裳の箱詰めに従事していたのです。
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数週間考えた後、ルイとエミリーは今こそ自分の店を構える時だと決心しました。世界最初の旅行鞄のアトリエ ルイヴィトンを設立。この荷造り木箱製造兼荷造り業の仕事場は、カプシーヌ通りと番地(当時はヌーヴ・デ・カプシーズ通りと呼ばれた)にあり、平和通りやヴァンドーム広場の仕立屋の店のすぐ近くでした。開店して数日後、ルイは自作のトランクを発表しました。このとき防水性のあるグレー地の「グリ・トリアノン・キャンバス」を発表、その布地を用いたトランクを生み出し、「ルイヴィトン・マルティエ(ルイ・ヴィトン・トランク製造職人)」としての歴史の第一歩を踏み出したのでした。 |
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