ルイ・ヴィトン・ストーリー 『チャレンジ―偽物との戦い』 150年以上も人々に愛され続けるブランド・ルイヴィトンの歴史の物語


『チャレンジ―偽物との戦い モノグラム・ラインの誕生―』

チャレンジ―偽物との戦い モノグラム・ラインの誕生―

1872 旅行鞄をはじめとするルイ・ヴィトンのアイテムが機能性・デザインの両面で高い評価を受けるにつれ、その偽物が市場に出回っていきました。トランクの上から布地を貼るというルイの技法は賢明であったが、容易にコピー商品が出回ることとなり、1872年、ルイは別の布地を使うようになります。 この布地は、「レイエ・キャンバス」という、最初に赤色の縞模様、その後ベージュと茶の縞模様へと変化していきました。しかし、これもすぐにコピー商品が出回ることとなりました。

しかし、コピー商品に押されることなく、彼のビジネスは成功を収めました。また、私生活の方も衰えることはなく、1880年には息子のジョルジュがジョゼフィーヌ・パトレイユ (Josephine Patrelle) と結婚。入籍当日に、彼は息子にスクリーブ通りの店を任せました。その3年後、ジョルジュにも息子ガストンが生まれ、ルイは祖父となります。

1888 次々とコピーされる新作に対して、ルイ・ヴィトンは1888年息子ジョルジュの考案で、ベージュと茶褐色のチェス盤に「登録商標ルイ・ヴィトン」の文字を入れた市松模様の柄「トアル・ダミエ」を創作。以後数年間、トランクの生地として活用された。これが、ダミエ・ラインの始まりです。 このダミエ・ラインが施されたワードローブはエッフェル塔の誕生とともに開催された1889年のパリ万国博覧会では見事金賞を受賞。しかし、商標登録されていたにも拘らず、再びコピー商品が出回ることとなりました。

1892 1892年にはハンドバッグの販売も開始し、全製品が掲載されたカタログを初めて出版しました。顧客の要望に従ってどんな備品も取り付け、どのようなトランクにも応じようとするルイ・ヴィトンの精神が綴られたカタログは、そのまま彼の仕事上の遺言となる。
この年の2月28日、ルイ・ヴィトンは71歳の生涯を閉じる。

1896 父の意志を次ぐ長男ジョルジュは、鞄と旅と歴史の著作『始源から今日までの旅行(Le Voyage)』を発表し、1896年に勲章を授与されるという名誉を受けます。

続発する偽物に対抗するため、新たに打ち出されたのが、創始者ルイ・ヴィトンの「LV」のイニシャルに星と花を組み合わせたモノグラム・モチーフ。 そして完全に商標登録がなされます。このモチーフ「モノグラム・ライン」が現在に渡るまで、ルイ・ヴィトン社のトレードマークとなります。

モノグラム・キャンバスは当時流行していたジャポニズムの影響下にあったヨーロッパで、ジョルジュが日本の家紋などからインスピレーションを受けて生まれたと言われています。 発売当時のモノグラム・モチーフは現在のようなプリントではなく、職人の手によりひとつひとつ手描きで施されていました。その執念とも言うべき職人の尽力により、ルイ・ヴィトンの偽物は激減していったのです。

ルイ・ヴィトンのキャンバスの変遷
左上:「モノグラム・キャンバス」1896年
右上:「ダミエ・キャンバス」1888年
左下:「レイエ・キャンバス」1872年
右下:「グリ・トリアノン・キャンバス」1854年

 

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